2020/10/27

新主教挨拶

新主教は、按手・就任式の最後で日英韓3カ国語であいさつをされました。 その挨拶のうち、日本語と韓国語の挨拶を掲載いたします。

【日本語挨拶】

本日は、さまざまな困難の中、またご多忙のところ、遠路より、主教按手式にご出席いただき、心から感謝申し上げます。本来ですと7カ月前の3月28日に予定されていたところ、新型コロナウイルス感染症蔓延のため、5月2日に延期され、しかし、パンデミックが収まることはなく、さらに、本日の10月24日に再延期となりました。主教按手式が延期されるということはおそらく日本聖公会の歴史上も初めての異常な事態であったかと思いますが、それゆえにこそ、今日、ただいま、このようにして、主教として按手いただいたという、その意味と重みを受け止めたいと思います。
この7カ月、不安の中にある私たちの中部教区を守り、導いてくださいました入江主教さま、そして、本日の主教按手式の実施をご決断いただき、整えてくださいました植松誠首座主教さまはじめ日本聖公会主教会の主教さま方、また、お祈りいただいてきた、全国の退職主教さま方、教役者、信徒のみなさまに心から感謝申し上げます。日本カトリック司教協議会会長・高見三明大司教、日本基督教団・石橋秀雄総会議長、日本福音ルーテル教会・大柴譲治総会議長、在日大韓基督教会・金柄鎬総幹事、日本キリスト教協議会(NCC)・渡部信議長・日本キリスト教協議会(NCC)・金性済総幹事という、日本におけるキリスト教主要教派トップの方々が、チャンセル(聖所)に上がっていただいたのをはじめ、多数のエキュメニカル・ゲストの方々に、実際にこの場にご臨席たまわりましたことに、感激しております。さらには、新型コロナ蔓延で国境が閉じられる中、本日は、海外からオンラインで16名のご来賓の方々にご臨席いただくことができました。その他、世界各地からも多数、祝福のメッセージをいただきました。私たち中部教区が、日本聖公会のみならず、世界の聖公会(アングリカン・コミュニオン)や、教派を超えたエキュメニカルなつながりの中に生かされていることを、あらためて実感することができました。
この10年の長きに亘り教区をお導きくださった渋澤一郎主教さまに、心からの感謝を申し上げます。渋澤主教さまには、これからも私たちを、さまざまな形でご指導いただきたいと願っています。そして、何よりも、本日の主教按手式を心待ちにしていただき、また、困難の中、大変な準備をしてくださった、中部教区のすべての信徒、教役者のみなさんに、感謝しますと同時に、ご一緒にこの日の喜びを分かち合いたいと思います。
また、私は、立教大学等の働きも継続することになりますが、土井宏純司祭には主教補佐職をお願いするのをはじめ、中部教区教役者、信徒のみなさまのお支えをいただきながら、精一杯に主教職を担っていきたいと考えています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
さて、私ごとになりますが、私の末の息子は、岡谷の病院で生まれました。帝王切開でしたが、生まれた際に息をしておらず、重度の仮死状態でした。すぐにICUで治療が行われましたが、お医者さんから見せられたMRIの脳の写真は真っ白で、先生からは、一次的な治療はできず、二次的な治療しかできないことを告げられました。
そのすぐ後の主日の福音書は、漁をしていたペテロたちが、イエスさまから弟子として招かれる場面でありました。その福音を黙想していた時に、ひとつの気づきが与えられたのです。「人をとる漁師が持つ網とは、どんな網なのだろうか」と。「人をとる漁師が持つ網」は、神さまの愛の糸で紡がれていて、その網からは、誰ひとり決してこぼれ落ちることのない網なんだと。たとえ私の息子が、これからさまざまな重荷を背負うことになったとしても、その愛の網の中で、しっかりと支えられて、決してこぼれ落ちることはないのだと。
イエスさまは、そんな「網」を持つ漁師になれと、弟子たちに、そして私たちに命じられたのではないか。そして、ご復活なさったイエスさまが、ペテロたちに漁をしてこいと言われたのは、弟子たちが、しっかりと、その「網」を持つ者となっているかどうか、確かめられたのではないか。事実、網は153匹もの大きな魚でいっぱいでした。しかし、それほど多くとれたのに、網は破れていなかったのです。主イエスは、弟子たちが確かに誰ひとりこぼれ落ちることのない愛の網を持つ者となったことを確かめられて、天へと昇られた。そんな気づきを与えられたのでした。
私たちが、主に従い生きること、すなわち神を愛し、人を愛する者となる、ということは、このような意味で、「人をとる漁師となること」なのだと思います。「そこから誰一人としてこぼれ落ちることのない網を持つ者となれ」。それが主の教えです。この網を精一杯に張ることこそが、主イエス・キリストの弟子たることのしるしに他なりません。
私たちもまた、主から召された「人をとる漁師」です。神さまの愛と信頼の糸で紡がれた網を持つ漁師です。そこからは誰一人としてこぼれ落ちることがないように、しっかりと紡がれた網を持つ者です。みなさん、お一人おひとりが持つ網と網が結ばれて、そしてついには「中部教区」という一つの豊かな神さまの愛の交わり、<ネットワーク>、豊かな愛のコミュニオンとなることができますように、ご一緒に祈り、働いてまいりたいと願います。本日は誠にありがとうございました。
 

【韓国語挨拶原文・翻訳】

오늘 저의 주교 취임식에 한국에서도 온라인으로 참가해 주셔서 마음 속으로부터 감사의 말씀을 드립니다. 제가 얼마나 한국의 형제자매에게서 협력받아 왔는지를 오늘도 잘 이해할 수 있었습니다. 제 자신 지금부터 40년 가까이 만난 한국 성공회의 학생 청년들, NCC 한일 청년협의회에서 만난 한국의 에큐메니칼 청년들과의 관계 속에서 많이 배워왔습니다.
중부교구도 1995년에 한국성공회 서울교구와 자매교구관계를 맺고, 오랜세월 깊은 상호 교류를 지원해 왔습니다. 1996년, 일본 성공회는 총회에서 성공회의 전쟁 책임에 관한 선언을 채택했습니다. 그 중에서 우리 일본 성공회는 전시에 일본 국가에 의한 식민지 지배와 침략 전쟁을 지지, 묵인한 책임을 인정하고 그 죄를 고백한 것입니다. 그후 일본 성공회는 한국 성공회로부터 많은 사제님을 맞이할 수 있었고, 모두 일본 땅에서 선교활동에 큰 공헌을 해 주고 계십니다. 이 중부교구에서도 정윤식 사제님, 김선희 사제님이 열심히 목회해 주시고 계십니다.
앞으로도 점점 일본 성공회 중부교구와 한국 성공회, 그리고 에큐메니칼의 다채로운 교류를 깊게 해 나가고 싶다고 기원하고 있습니다. 오늘은 정말 감사의 말씀 드립니다.

<日本語訳>

本日は、私の主教按手式に韓国からも、オンラインで参加してくださっていることに、心から感謝の言葉を申し上げます。私が、どれほど、韓国の兄弟姉妹から、支えられてきたことかを、本日も、良く理解することができました。私自身、今から40年ほど前に出会った韓国聖公会の学生、青年たち、NCC韓日青年協議会で出会った韓国のエキュメニカル青年たちとの関係において、多くのことを学んできました。
中部教区も1995年に韓国聖公会ソウル教区と姉妹教区関係を締結し、長い年月の間、深い相互交流を支援してきました。1996年、日本聖公会は、総会で「聖公会の戦争責任に関する宣言」を採択しました。その中で、私たち日本聖公会が、戦時における日本国家の植民地支配と侵略戦争を支持、黙認した責任を認めて、その罪を告白しました。その後、日本聖公会は、韓国聖公会から、多くの司祭さまたちをお迎えすることができ、日本全国で宣教活動に大きなご貢献をしてくださっています。この中部教区でも、丁胤植司祭さま、金善姫司祭さまが熱心に牧会にあたってくださっています。
これからも、ますます日本聖公会中部教区と韓国聖公会、そしてエキュメニカルで多彩な交流を深めてまいりたいと願っています。本日は、誠にありがとうございました。